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世界史からみた外交を語るスレ @ [世界史板] | TechCamp
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世界史からみた外交を語るスレ @ [世界史板]

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1: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 21:47:39 0

世界史で起こった外交的勝利、もしくはその敗北を語ったり、現代世界の政情などを外交史から語るスレです

3: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 22:40:19 0

クレメンス・フォン・メッテルニヒオットー・フォン・ビスマルク

メッテルニヒとか、ビスマルクの外交について語る?

4: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 22:48:32 0

ウェストファリア会議もな

ミュンスター条約締結の図(ヘラルト・テル・ボルフ)

管理人より:「ウェストファリア会議」は、ヨーロッパのカトリックvsプロテスタントの宗教戦争である「三十年戦争」の講和会議。主にウェストファリア地方のミュンスターとオスナブリュックで条約が締結されたため、こう呼ばれます。

5: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 01:51:52 0

つまるところ外交とは強力な味方を手に入れて、自国以上の相手とも互角に戦う事が出来る状態にする事だろう
今の日本は強力な味方を手に入れようとはしてるが(まあポチって言われりゃそれまでだが)上手く敵を作ろうとしてないように見える

敵国を敵と公にするのは相手との絶交を意味するが、敵の敵を味方に上手く引き入れる事も可能にするのではないかな?
どんなに仲が悪かろうとも、表面上の友好状態を維持しようとすれば敵の敵は味方にはならない希ガス

6: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 01:54:08 0

しかし敵国とは永遠に敵対するわけではない
自国に有利な状態になれるのであれば、その時点で敵対→友好or中立に突然変更するのもOK
そこらへんがわかんないと「欧州情勢は複雑奇怪」になっちゃうんだよね

7: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 20:31:50 0

大英帝国の外交官 細谷雄一の『大英帝国の外交官』(筑摩書房)を読んだけど、チョトイギリス外交をマンセーしすぎではないかとオモタヨ。
20世紀にはいってからのイギリス外交は誤算続きじゃん。
第一次世界大戦への介入、ヒトラーに対する宥和政策、第二次世界大戦後に植民地をほとんど失う、スエズ危機…

8: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 21:24:02 0

>>7
どちらかというとヒトラーに対する宥和政策が問題というより、ヒトラーと組んでソビエトを潰さなかったことのほうが誤算だったのでは。

13: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 18:19:37 0

>>8
ナポレオン戦争でも、第一次世界大戦でもそうだったけど、イギリスにとっては対岸のヨーロッパ大陸に統一された強力な政治勢力ができることはなんとしても阻止しなければならなかった。

14: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 20:46:04 0

>>13
特にネーデルラントがフランス(後にはドイツ)に併呑されてしまうことは。

17: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 22:30:16 0

>>8
イギリスがヒトラーと組んで、ソビエトを潰せばどうなっていたのか?

9: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 22:07:04 0

中東のユダヤ問題にしてもたきつけるだけたきつけて結局消化未遂に終わったしね

まあどこの国でも全ての時代に置いて外交的成功を収めてる国はあまりないよね
あるとしたらどこだろう

11: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 00:00:21 0

第一次(1838年 – 1842年)と第二次(1878年 – 1881年)のアフガン戦争なんかイギリス軍たいして勝ってないのに、外交術でアフガニスタンを保護国にしてしまったような。

12: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 18:04:12 0

>>11
あれはアフガニスタンの分裂・内紛にも助けられたのでは?
イギリスが擁立した王族が失脚した後、勢力を伸ばしてきた別の王族に保護と自立支配を許せばよかったから。

10: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 23:30:23 0

20世紀はアメリカというパワーが出てきたから、欧州諸国にとっては外交がやりにくかっただろうね。
アメリカ外交の歴史において、ニクソン=キッシンジャー時代みたいなのは例外的で、原理原則を重んじるのがあの国のやりかた。

15: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 20:59:22 0

ベルギーって、英仏独の緩衝地帯として人工的につくられた国だっけ?

16: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 22:17:32 0

アンリ・ピレンヌ>>15
ピレンヌ先生がお怒りですよ。

18: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 22:36:13 0

>>16
陛下、ベルギーは存在しませぬ。

(ジュール・デスレ)

19: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 23:35:03 0

イギリスが第一次世界大戦に参戦したのは、ドイツが中立国ベルギーを侵犯したから。

アルベール1世アルベール陛下より:「ベルギーは道ではない」
ピレンヌ先生はベルギーの歴史学者、デスレは社会主義活動家のようですが、綴りがわからず詳細不明。肖像画のURL知ってるひとがいたら教えてください。

25: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 20:14:41 0

で?史上最も外交の上手かった奴は誰?

26: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 20:17:26 0

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール>>25
ビスマルクでもキッシンジャーでもなくタレーラン

27: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 20:43:32 0

ウィリアム・ピット>>26
ウィリアム・ピットはどうよ?

28: 世界@名無史さん 2005/10/19(水) 01:06:36 0

オットー・フォン・ビスマルクカミッロ・カヴール
やっぱビスマルク、やや後れてカヴールじゃないの?
外交によって何かを保全した人物ではなくて、何かを創り出した人間だから。

29: 世界@名無史さん 2005/10/19(水) 09:20:20 0

ビスマルクによるドイツ統一の際、なぜイギリスは邪魔をしようとしなかったんだろうか?

33: 世界@名無史さん 2005/10/19(水) 13:25:45 0

ナポレオン・ボナパルト>>29
①ナポレオンの記憶がまだ新しく、強力なフランスに対抗するドイツに頑張ってもらいたかったから。
②神聖ローマ帝国の分裂状況が、欧州情勢を不安定なものしているという『ドイツ問題』の認識があったから。

ドイツ問題はその後、統一させたら強力になり過ぎたちゃっとドイツをどうするか、という問題に転換する。
まー、イギリスとしては上手い感じにプロイセンとオーストリアのバランスが取れれば良かったんだろうけどね。

35: 世界@名無史さん 2005/10/19(水) 17:25:00 0

ルイ14世>>33
ルイ14世やナポレオンのころのフランスは、人口はヨーロッパ最大で最強の軍隊を持っていたのに、ドイツ帝国成立以降押されぎみになっちゃったね。
人口もドイツのほうが多くなったし。

48: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/10/22(土) 20:21:02 0

ウィリアム・グラッドストン>>33
実際「統一ドイツが、自国だけの手には負えないほど強力になること」を当時のイギリスが読めなかったのは何故だろう?
人口や経済規模・軍事費など、計算すれば見当つきそうな面もあったと思うけど。
政権がグラッドストンだったのも関係あるのかな。

49: 世界@名無史さん 2005/10/22(土) 21:14:57 0

>>48
統一される前のドイツ諸邦が、あまりにも弱体だったからかな?
統一後、ドイツは農業国から工業国に転換し、人口も4100万から6500万に増えた。

グラッドストンって、ビスマルク引退後に英独協商の話が持ち上がったときも、ヨーロッパ大陸列強の同盟・協商関係に深入りすることに反対してるね。
その次のローズベリも、イタリアやオーストリアが三国同盟加入を申し入れてきたにもかかわらず拒否している。

32: 世界@名無史さん 2005/10/19(水) 13:02:58 0

ヘンリー・ジョン・テンプルパーマストン卿
「外交には永遠の友人も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だけだ」

34: 世界@名無史さん 2005/10/19(水) 16:20:55 0

ヘンリー・ジョン・テンプルパーマストン卿
「中国やポルトガル、スペイン、アメリカといった半文明的な国は、きちんと秩序付けておくために、8年から10年ごとに打撃を与えることが必要だ」

41: 世界@名無史さん 2005/10/21(金) 01:24:16 0

>>34
アメリカに関しては今でも、そのとおりになってるね。

36: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 20:33:20 0

普仏戦争の後、第一次世界大戦の勃発まで、ヨーロッパには大規模な戦争が起こらなかったというのがすごいね。
この時代が「ベル・エポック」と呼ばれるのもむべなるかな。

37: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 21:30:52 0

>>36
まあ、その分歪みがたまったわけで

38: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 22:20:01 0

>>36
代理戦争やってたからな。ボーア戦争とか日露戦争とか。

39: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 22:37:54 0

1872年 三帝同盟
1882年 三国同盟
1887年 三国同盟更新
1893年 仏露防衛連盟
1904年 英仏協商
1907年 三国協商

管理人より:プロイセンのあまりの強さにヨーロッパ各国鼻白んだ形になったんでしょうかね…。

45: 世界@名無史さん 2005/10/22(土) 11:06:07 0

外交的勝利を得つづけるのに不可欠なものは何か?

46: 世界@名無史さん 2005/10/22(土) 13:43:03 0

>>45
国家のシステムも大事では?
特に、国内のロビーを調整できるようなシステム。

53: 世界@名無史さん 2005/10/23(日) 12:20:11 0

>>45
安定した内政
ピーター・ドラッカーが『傍観者の時代』の中でランケ以来、ビスマルク・キッシンジャーにまで受け継がれる「外交政策の優位」という考えに反対して、これまで多くの国が、外部からの攻撃によるのと同じく、内部の腐敗によって崩壊した外交政策を最優先にする考え方自体が国のあり方を歪める、真に優れた政治家は内政と外交の調和とトレードオフに努めるべき、と言ってた

144: 世界@名無史さん 2005/11/19(土) 21:34:19 0

>>53

>真に優れた政治家は内政と外交の調和とトレードオフに努めるべき

オットー・フォン・ビスマルクビスマルクは外交では成功したけど内政では失敗したと見るべき?
カトリックに対する文化闘争とか、社会主義者鎮圧法とか、保護主義への転換とか。

50: 世界@名無史さん 2005/10/23(日) 00:50:08 0

よく覚えていないが、ナポレオン戦争後には英仏植民地戦争は英国の勝利で終了しており、英国としてはこれ以上フランス戦いたくなかったから19世紀は『光栄ある孤立』を維持しつつ、欧州の平和と安定を図ったって外交史の講義で聞きかじったような気が・・・。

この頃は、フランスとの戦いから英国内の戦いへってな感じで、インドやエジプト、アフリカの植民地安定に忙殺されていて、植民地を縮小すべきという小英国主義まで出てたくらいで、欧州の(英国は自身を欧州と看做していない)争いに巻き込まれたくなかったからだと思う。

51: 世界@名無史さん 2005/10/23(日) 10:05:04 0

>>50
なんとなく、日本が中国・朝鮮半島と距離を置きたがっていること(脱亜入欧)と共通するものがあるな。

52: 世界@名無史さん 2005/10/23(日) 10:44:24 0

ヨーロッパ的外交は、共通の文明基盤の上に立つ国が、貴族的・サロン的感覚を持つ外交官同士で秘密裏に交渉することによって初めて成立したのでは。
タレイラン、メッテルニヒ、ビスマルクあたりの外交的成果はそれを抜きにして考えられない。

日本はそういった外交を理想としているけど、アメリカ、中国、ロシア、韓国は、いずれもそういった奇麗事・理論で正当性を主張するようなレベルに達していない。
そのときそのときで、強者が弱者に譲歩をせまるというだけ。

54: 世界@名無史さん 2005/10/23(日) 15:59:39 0

>>52
つまり、ヨーロッパ的外交はヨーロッパの中でしか通用しないということ?

58: 世界@名無史さん 2005/10/27(木) 10:21:34 0

新植民地主義

欧州のポストモダン体制はバランスには依存しない。
主権を強調することもしないし,内政と外交を分けたりもしない。欧州連合は内政に関しても相互に干渉する。ポストモダン世界のメンバーは互いを侵略しようとは考えない。
しかしモダンとプレモダンが,我々の安全に脅威となることをする。

↑今はそうでも、将来どうなるかはわからんと思うが…

83: 世界@名無史さん 2005/10/31(月) 20:40:35 0

鄭和最近、『中国の歴史09 海の帝国』(講談社)を読んだんだけど、鄭和の遠征の目的は、明朝を頂点とする朝貢メカニズムを海域世界へ広げようとするものであったと考えられるが、実際には鄭和の遠征は東南アジアの新しい政権の形成にほとんど影響を与えなかったし、中国の皇帝は中華文明を慕って使節を送ってきたと思っていたかもしれないが、使節を送った側はそれとは異なる価値観の中で行動していたと書かれていた。

こういう独善的な考え方は、現代の中国外交にも引き継がれているように思える。

86: 世界@名無史さん 2005/11/02(水) 10:59:27 0

クレメンス・フォン・メッテルニヒオーストリア(ハプスブルク帝国)って、メッテルニッヒ以外にすぐれた外交指導者っている?
クリミア戦争では英仏についてロシアに敵対し(しかも、実際には戦わなかった)
第一次世界大戦ではベルヒトルトみたいなDQNが帝国を破滅に追い込んだし。

87: 世界@名無史さん 2005/11/02(水) 18:37:55 0

ヴェンツェル・アントン・フォン・カウニッツ>>86
カウニッツ。1756年の外交革命。

88: 世界@名無史さん 2005/11/02(水) 20:02:01 0

ポンパドゥール夫人>>87
あ…そうだった。ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人を通すという、いかにもヨーロッパ的なやりかたね。

それにしてもウィーン体制崩壊後のオーストリアの外交はぱっとしないな。
イタリア統一も、ドイツ統一も防げなかったし。

90: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/11/03(木) 00:09:23 0

フェリックス・ツー・シュヴァルツェンベルク>>88
オーストリアに関しては、シュヴァルツェンベルクというのが1852年に死んだのが大きいと思う。
恐らく彼が生きていれば、ビスマルクのドイツ統一もそう上手くいかなかったろう。

95: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 13:00:42 0

>>90
趨勢はドイツ関税同盟で決してた。
あとは時間の問題だったわけで、オーストリア側の事情はほとんど影響しなかったろうね。

91: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 01:33:11 0

カミッロ・カヴール外交といえばビスマルクがよく取り上げられるけど、イタリアの宰相カヴールもすごい。
クリミア戦争に参加してサルデーニャ王国の地位を向上させ、フランスを味方につけてオーストリアをイタリアから追放。

92: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 01:43:16 0

>>91
結局ナポレオン3世は寝返るじゃん

94: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 12:57:11 0

イタリアはうまくやったとも言えるけど、裏切りのイメージが国家についてまわることを考えると、長期的な代償はきわめて大きいともいえる

96: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 13:40:43 0

>>94
「閣下大変です、イタリアが参戦しました!!」
「なに、それは問題だ、直ちに一個師団を送りこんで殲滅せよ」
「いえ閣下、我らが陣営にです」
「なに、それはもっと問題だ、直ちに二個師団を送りこめ」


ヨーロッパの外交つったって、やっぱりそれは政治家の仕事になるから、政治家がかならずしも王族・貴族とは限らなくなって、王権が弱まり議会が力を持ち始めて以降…てことになるんですかね。
ビスマルク、タレーラン、メッテルニヒ、カヴール…といった、世界史の教科書に出てくる政治家がけっこう出てました。

このビスマルクというオッサンは確かに有能な政治家であったには違いないですが、まだ若いウィルヘルム2世の情熱を抑えることはできませんでした。結局疎ましがられて遠ざけられてしまう。
彼がもうちょっと若者心理をうまく操作できたら、第一次世界大戦は避けられたのかもしれない。歴史はなにが災いするかわかりませんねぇ。

ヨーロッパ的外交は、共通の文明基盤の上に立つ国が、貴族的・サロン的感覚を持つ外交官同士で秘密裏に交渉することによって初めて成立したのでは。

と、»52さんが書いてますが、これなどなかなかエエとこついてますね。そうしたことは、ヨーロッパの様々なところで行われていたとか。
実際に、ひとりの外交官が辣腕を奮って、舌先三寸で外敵を退け…なんていうのはめったなことでできるものではないでしょう。裏ではこういった、気の利いた連中同士がこっそり腹の探り合いをして、主人に報告…というのはいかにもありそうなことですよ。

複雑なヨーロッパ情勢を左右してたのは、実は名も知れない彼らだったのかも…しれませんよ!

ボイン川の戦いにおけるウィリアム3世(ベンジャミン・ウェスト)

トップ絵はアメリカの画家ベンジャミン・ウェストによる「ボイン川の戦いにおけるウィリアム3世」より。大きい画像が見つからなかった。
スレでは全然出てこなかったいわゆる「オレンジ公ウィリアム(オラニエ公ウィレム3世)」ですが、幼くして両親を亡くし、成人してもオランダ総督の地位につけず、共和派のウィッテ兄弟に養育され…となかなかの不遇時代が続いたのですが、そのせいかとても思慮深い辛抱強い性格に。おじいちゃんのウィレム1世のアダ名「沈黙公」は彼にこそふさわしい。
フランスの対オランダ大包囲網をしかれるにいたって、負け続きのオランダでついにウィッテ兄弟に対して国民が蜂起、ようやく総督になったウィレム3世です。

総督に就任早々、外交戦略を駆使してオーストリア&スペインと同盟を結び、フランスの包囲網を崩し、戦争においてはフランスの補給拠点を落としてフランス軍を撤退させる活躍ぶり。
その後、名誉革命でイギリスのジェームズ2世が退位させられた後、イギリス国王にちゃっかり収まるという離れ業をやってのけます。彼はステュアート王家の血筋を引いているので。

で、この「ボイン川の戦い」は、即位したウィリアム3世率いるイングランド軍と、元国王のジェームズ2世率いるアイルランド軍の王位継承戦争です。おっぱいは関係ない!


以下本題と関係ないお知らせ:
たびたびですが、明日の更新おやすみです!

イギリス革命史(上)――オランダ戦争とオレンジ公ウイリアム

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